Index Top 第2話 白鋼、出掛ける

第2章 沼護 義邦


 振り返ると、台所の入り口に白鋼が立っている。
 包帯まみれの姿で、昨日と同じ白い着物と紺色の袴という格好。眠そうに目をこすっていた。耳も尻尾も力なく萎えている。
「あいにく僕は、百年も生きていない銀歌くんにどうにかされるほど弱くはないので。それより、君は今までどんな不摂生な生活をしていたのですか? 七時だというのに、身体がうまく覚醒状態に移りません。眠いです」
「人の身体奪っといて贅沢言うな!」
「ふぅ」
 銀歌の声には構わず、椅子に座る。座ってから一度腰を浮かし、尻尾を背もたれの下に入れた。尻尾に慣れていないせいだろう。持っていた鞄と杖を横に置く。昨日の昼ほどは酷くないが、夕方ほど元気でもない。
「なんか、アルコールの匂いがしますけど」
 鼻を動かしながら、白鋼が呟く。
 台所にはアルコールの匂いが濃く漂っていた。
「銀歌がわたしの燃料をお酒と間違えて口に含んで吹き出しました」
 葉月が笑顔で告げ口する。
 白鋼はため息をついてから、銀歌を眺めた。
「面白いことをしますね。銀歌くんは」
「ほっとけ!」
 言い返してから、銀歌は味噌汁を飲んだ。
 話を逸らすように、訊く。
「飯食いに来たのか?」
「いえ、胃が受け付けないので、まだ食事は出来ません。ここ一ヶ月、固形物は何も口にしていませんよ。あぁ、お腹すいた」
 銀歌の食事を見つめながら、羨ましそうに呟く。
 考えてみれば、元の身体のままだったら、監禁されたまま食事も出来なかっただろう。いや、生きてもいないだろう。とはいえ、こうして生きている状況が幸せかと問われれば、肯定する自信はない。
 窓の外から、車の音が聞こえた。
「さて、来たようです」
「来た?」
「沼護義邦。日本守護十家のひとつ、蟲使いの沼護。その当主にして、高度な医療霊術を扱う、日本一の医者です。ブラクジャック並に法外な料金を請求されますけど、ブラックジャック以上に腕は確かです」
 椅子から立ち上がり、杖と鞄を持って台所を出て行く。
 なんとなく気になり、銀歌は後を追った。
 白鋼は玄関で靴を履いている。
 顔を上げると同時に、戸が開いた。
「よう」
 家に帰ってきたかのように気楽な仕草で、一人の老人が入ってくる。
 年のころ七十歳ほどだろう。撫で付けただけの白髪に、しわの刻まれた顔。老けてはいるが、身体は弱っていない。着古した灰色の背広の上からも、鍛え具合が分かる。
「話通りの死にかけだな」
「お久しぶりです。義邦さん」
 気楽に手を上げる義邦に、一礼する白鋼。
 義邦は顎を撫でながら、銀歌に目をやる。
「よう、嬢ちゃん。見かけない顔だな」
「彼女は銀歌ですよ。この身体の元の持ち主。僕が引き取って面倒見ています。色々教え込んで助手にするつもりです。一人で研究行うのは疲れますからね」
 銀歌を手で示して、白鋼が紹介する。
「噂の銀狐……か。ずいぶんと可愛くなったねぇ。赤い首輪までつけちゃって」
 気楽に笑ってみせる。
「うるせー!」
 義邦を指差して叫ぶ。殴りかかろうとも思ったが――やめた。守護十家の当主。はっきり言って白鋼並に強い。元の身体でも、勝てるかどうか怪しい。
「彼女が銀歌であることは他言無用でお願いします。彼女の魂は封印されていることになっていますからね。ばれたら遠からぬうちに命を狙う輩が出てきます。なにせ恨みを買いすぎていますので」
「分かってるよ。妖怪同士のことに人間は口を挟まない。それが決まりだからな」
 人間同士のことに妖怪は口を挟まないし、妖怪同士のことに人間は口を挟まない。人間と妖怪の間に揉め事が起こったら、退魔師や土地神、土地長が出てくる。話し合いで終わることもあるし、戦うこともある。
「んで、治療費だけど」
「約束通り、現金で二億円。用意しました」
 白鋼は鞄を渡した。
 義邦は受け取った鞄を開ける。中には札束が詰まっていた。
「残りの二億円は後ほど銀行に振り込みます」
「金持ちだなー……」
 銀歌は素直な感想を漏らす。
 白鋼は苦笑しながら、
「相変わらず、法外な金額ですよね」
「破格だよ、破格。出血大サービス。生きているのが不思議な身体を、健康体に修理するんだ。おっと、治療じゃなくて修理だぞ。骨格、筋肉、血管、リンパ、神経、内臓。全部いじるからな。あと、俺が用意した生体義肢と義眼だけで三億かかってる。これがあんたじゃなかったら、七億は貰ってるところだ」
 腰に手を当てて、義邦は言い切った。
 にやりと笑って
「七尾の銀狐の身体をいじれるんだ。一億は負けてあるけどな」
「あたしの身体に何するつもりだ!」
「調査だよ、調査。生きた妖怪の身体を解剖出来る機会なんて滅多にないからな。ましてや、日本最強クラスの大妖。レポートにまとめさせて、発表させてもらうよ」
 さらりと答えてから、意地悪く口元を曲げた。
「お穣ちゃん、自分の身体になんか如何わしいことされると思ったのかい?」
「ンな……!」
 耳と尻尾がぴんと立つ。
「うぶだねぇ。うんうん。いいねぇ、若いって」
 義邦は、からかうように言ってきた。
「あたしはお前より年上だ!」
「どこで、治療する気です?」
 銀歌を無視して、白鋼が訊く。
 銀歌が睨みつけるが、義邦も無視して答えた。
「近くの大学病院を使わせてもらう。俺の友人が勤めてる。あと、口止め料、設備使用料、その他必要人件費で八千五百万円なり。人件費がでかい」
「……はは」
 義邦の台詞に、白鋼の口から乾いた笑いが漏れる。
 気を取り直して、
「いつ頃、こちらに戻れますか?」
「五日後には元気になって帰れるだろ。遅くても一週間後には戻れるさ」
 指を動かしながら答える。
「早いですねー」
 素直に驚いている白鋼。
 どう見ても死にかけの状態を五日で治すというのである。誰でも驚くはずだ。医術について詳しくは知らないが、治すのには一ヶ月以上かかるのではないだろうか。
「お前は病気じゃないからな。病気だったら半年くらい入院してもらうけど、お前の症状はただの大怪我だ。一部分が損傷したんじゃなくて、全身の組織がまんべんなく破損してるだけで、ただの怪我だ」
 言うほど単純なものではないだろう。
「じゃ、行くか」
「はい」
 二人が玄関を出ていく。
 牙を剥いて唸る銀歌は無視されていた。
「あ。そうです。銀歌くん」
「何だよ!」
「昼ごろに敬史郎くんがくるので挨拶しておいてください」
 銀歌の怒りを無視して、白鋼が言ってくる。
「敬史郎?」
「そこの道から続く楠木神宮の土地神ですよ。僕の友人で、君に勉強を教えることになっています。いいひとなのですが、ちょっと変わった方なので、気をつけてください。気を抜くと、何されるか分かりませんので」
「何だよ、それ……?」
「敬史郎くんは、葉月と非常に気が合います」
「な……!」
 絶句する銀歌。
「では、五日後に会いましょう」
 パタン。
 戸が閉まる。
 銀歌は頭を抱えた。

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