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はじまり 銀歌目覚める


 銀歌は目を開ける。
 かなりの時間眠っていたのだろう。
 意識が朦朧としていた。身体も重い。
 自分が誰であるかを、緩慢に思い出す。
 名前は銀歌。妖狐族の娘で、九十四歳。生まれた時から七本の尾を持つ銀狐。妖狐族の中では、間違いなく最強である。日本に住む妖怪の中でも、五本の指に入るかもしれない。退屈な世の中に嫌気が差し、妖狐の里乗っ取りを企て、仲間とともに大暴れした。
 そして、負けた。
「負けて、死んだと思ったんだけど」
 銀歌は呻いた。
 しかし、生きている。
「あたしは死んで……いない、か」
 誰かが助けたのだろう。他に理由は考えられない。
 東の長か、妖狐の族長か、神界の司法長か。いくつか考えられるが、確証は持てない。誰でもいいだろう。ただ、なんらかの底意があるのは確実だ。
「さて、ここはどこだ?」
 銀歌は部屋の中を見回す。
 ありふれた十四畳の和室。自分はその中央に寝かされていた。時間は昼頃らしく、障子の隙間から日の光が入ってきている。着ているものは、どこにでもあるような寝巻き。
 布団の横には、布巾のかけられたいなり寿司五つと大きな手鏡。
「用意がいいな」
 銀歌は布巾を取って、いなり寿司を掴んだ。
 嘗めてみて、毒はないと判断する。
 それを頬張りながら、手鏡を手に取った。これといった意図はない。なんとなく置いてあったから、なんとなく掴んだだけである。
 なんとなく手鏡を覗き込んで――
「………」
 映った姿に固まる。
 狐色の髪の、小娘。背中の中程まで伸びた赤味がかった黄色い髪と、同じ色の耳。見るからに幼い顔立ちに茶色い瞳。人間で言うならば、十三、四歳。はっきり言って、ガキだ。それだけではない。首には、これ見よがしに嵌められた大きな赤い首輪。
 一瞬自分でないと思ったが、口にくわえたいなり寿司が自分であると証明している。自分が子供の頃の姿にどことなく似ていた。
「何だ、これ?」
 いなり寿司を呑み込み、銀歌はその場に立ち上がった。
 視線が低い。明らかに背が縮んでいる。背丈は、百五十センチほどか。背が縮んだわけではなく、身体そのものが幼くなっているのだ。
 しかも、きれいな銀色だった毛も赤っぽい黄色になっている。尻尾も、耳も、髪の毛も、普通の狐と同じ。真紅の瞳も、ありふれた茶色になっていた。
「……何だ、これ?」
 錯乱状態になるのを抑えつつ、状況を把握する。
 自分は銀歌。妖狐族最強の銀狐。退屈な世の中に嫌気が差し、仲間を引きつれて反乱を起こした。半年ほど気ままに暴れてから、鎮圧され、殺された。
 殺されたと思ったら、生きていた。
 しかし、ちんちくりんの仔狐になっている。
「妖術か?」
 銀歌は手鏡を放り捨てて、自分の身体に手を当てた。
 身体を小さくしたり、大人を子供にしたりする妖術はある。だが、自分の身体からはそういった気配は感じられない。妖術ではないだろう。
「これか?」
 首輪を引っ張る。怪しい。
 大きな赤い首輪。妖力の気配はない。だが、つけているのは気に食わない。今の自分の姿に不気味なほど似合っているが、それも無性に気に食わない。
 外そうと思っても、外れない。
 ひとしきり首輪をいじってから、外すのを諦める。
「よし。落ち着けあたし」
 とにかく、ここがどこであるか確かめなければならない。
 銀歌は障子に近づき、隙間から外を眺めた。
 廊下、ガラス戸、縁台に、それなりに広い庭。きれいに手入れされていて、雑草は生えていない。庭の向こうには塀。
「どこだ、ここ?」
 布団に戻り、そこに座り込む。
 いなり寿司を掴んで口に運びながら、銀歌は自問した。自分の知っている場所ではない。族長の家や東の長の家でもない。かといって、司法庁の牢でもない。
 悩んでも意味がないと判断し、右手を前に突き出す。
 意識を集中させ、銀歌は狐火を作り出した。狐族ならば、子供にでも仕える基本的な妖術。狐火を見れば、大体の妖力が分かる。
 手の中に、青白い炎が現れた。
 しかし、ふらふらと揺れていて、今にも消えそうである。
「……しょぼいなぁ」
 狐火を消して、銀歌は嘆息した。思わず泣きたくなる。
 狐火から考えるに、妖力は普通の仔狐ほど。お話にもならない。
 武器になりそうなものを探す。刃物の一振り、棒の一本でもいい。
 だが、そういったものはない。期待はしていない。
 銀歌は手鏡を掴んだ。気休めにもならないことは重々承知しているが、何もないよりはましである。ましだと思いたい。
「敵の目的は……何だ?」
 それが分かれば、自分の置かれている状況も分かるのだろう。それを知るためには、いつまでもここで悩んでいるわけにはいかなかった。
 残りのいなり寿司を全部平らげ、北側の障子を開けて廊下に出る。人の姿はない。
 銀歌は鼻を動かして、匂いを嗅いだ。
「……何だ、ここは?」
 眉根を寄せる。
 廊下に漂うのは、木と草と紙の匂い。そして、金属と油と薬品――機械の匂い。匂いに整合性がない。自然の匂いのする場所で、機械の匂いを感じることは少ない。
 前後を見る。西に一部屋分進んだ所に、廊下は北に曲がっていた。東に一部屋分進んだ所には、玄関がある。どちらにも誰かの気配はない。
「どっちに行くか?」
 迷ったところで、ぴくりと耳を動かす。
 西の廊下から、誰かが歩いてくる。
 ぎこちない足取りで、杖を突いている。年齢は若い。だが、手負いか、病人。どちらにしろ、さほど強い相手ではない。今の身体でも組み伏せられるだろう。
 銀歌は足音を殺して、廊下の角に移動した。
 手鏡を握り締め、機会を伺う。
 足音が止まった。
「出てきてください。そこにいるのは、分かっています」
 若い女の声。口調や声音は男のようだが。
 銀歌は舌打ちをする。見つかった。
「はいはい。バレちゃしょうがないね」
 手鏡を捨て、両手を挙げながら、銀歌は相手の前に姿を現した。相手の実力が分からない以上、下手な行動に出るわけにはいかない。
 まずは、どのようにして相手を油断させるかだ。
 自分に言い聞かせて、銀歌は声の主を見つめ。
 固まる。
「起きたようですね」
 そこにいたのは、妖狐族の若い女だった。背は百八十センチ近い。腰まで伸ばした銀色の髪に、銀色の耳、銀色の尻尾が一本。知性の中に鋭利さが見える、赤い瞳。身体は痩せているというより、単純に細い。清潔な白い着物に、紺色の袴という質素な服装。
 しかし、顔の右半分と右腕、右足を包帯で覆い、右手に杖を持っていた。
「何、固まっているんです?」
 その声に、銀歌は我に返る。
 目の前にいる女を指差し、
「お前! 何者だ! 何で、あたしの姿なんだ!」
 目の前にいる女。それは、銀歌だった。今の子供の姿ではない。無敵の銀狐と恐れられた銀歌の姿である――厳密には少し違うが。自分の姿を見間違えるはずがない。
 女は慌てることもなく、答えてきた。
「あたしの姿もなにも――この身体は、君の身体ですよ」

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