Index Top 第8話 夢は現実、現実は夢

第5章 悪魔と天使と人間と


 扉を開けると、そこは砂浜だった。
 右を見れば夜の海があり、左を見れば防風林がある。昼間に海水浴をしていた碧ヶ浜海外によく似た場所だった。広さは十倍以上あるだろうが。空には無数の星が輝き、夜だというのに砂浜は昼間のようにはっきりと見て取れる。
「ここが中間地点みたいなものかな?」
 慎一は脇差を右手に持ったまま、足元の砂を踏みしめた。白い砂。足場が砂と言うこともあり、いくらか動きにくい。細かな動きに妨げが出る。水雲の術の応用で、足場を固定することもできるが、そこまでするほどでもないだろう。
 リリルが腰に手を当てながら、砂を蹴っていた。
「廊下から砂浜か。常識が通じないと分かっていてもなぁ。今までの流れからすると、ここでドン! って何か出てきて、そいつを倒せってことだろうかね?」
「正解〜♪」
 驚きもせずに、慎一は視線を動かす。
 浜辺の中央に、小さな人影が立っていた。中学生くらいの背丈で、姫カットの長い黒髪と影の薄い顔立ち。白いフリルとリボンの付いた黒いワンピースドレスを身に纏い、黒い手袋をしている。そして、白いレースの付いた黒い日傘を差していた。ゴシックロリータというものだろう。
 その姿を見て、慎一は肩を落とした。
「佐々木さん……」
「ヒメと呼びなさい!」
 糸目で睨みながら、鋭く囁く綾姫。目の前にいるのは、佐々木綾姫本人だろう。自分の夢として、ここに現れている。本人にとってはあくまでも自分の夢だが。
 厳しい表情を緩めてから、綾姫は優雅な仕草で自分の胸に右手を当てる。
「私がここの守護者。これより先に進みたかったら、私を倒してから行きなさい。慎一くんでも、そちらの可愛い悪魔っ娘でも。どっちでも相手をしてあげるわ」
 慎一は数歩下がってから、リリルの肩を叩いた。
「頑張れ」
「何でだよ! 戦闘はまかせるって言ってただろ!」
 すぐさま叫び返してくるリリルに、慎一はため息をついて脇差を納める。
「佐々木さんと戦うのは何か嫌だから……」
「正直だな、お前。アタシだって嫌だよ」
 牙を剥いて睨んでくるリリルに、慎一は宥めるように手を動かした。綾姫を見やると、何も言わずに素直に待っている。いきなり仕掛けてくることはないようだ。
「実を言うと、僕も暢気に戦って時間取られてる暇ないんだ。鬼門寺さんを抑えるから、ここで消耗はしたくない。そのために魔輝石使えるようにしたんだから。あと、日暈家の人間に貸し作っておくと、後々何かと便利じゃないか?」
 リリルは数秒目を泳がせてから、
「分かったよ――。ここはアタシが何とかするから、お前はさっさと本命片付けろ」
 そう言って、一歩前に出た。筋をほぐすように両手を動かしてから、両拳を打ち合わせる。身体を包む鋭く冷たい殺気。思考が戦闘状態へと移った。
「可愛い悪魔っ娘のお嬢ちゃん、あなたが私の相手かしら?」
「アタシの名前はシェシェノ・ナナイ・リリル。これからお前を倒す」
 静かに宣言してから、右手を真上に振り上げる。
「Mode Full LIBERATING!」
 瞬間、赤い光が弾けた。
 リリルが首から下げていた魔輝石から、目映い光が溢れる。赤い光の中で、リリルの着ていた衣装が分解するように消えていった。白いワンピースと白い猫耳帽子、白いサンダル。子供用のスポーツブラとスパッツ、ショーツ……次々と消えていく。
 三秒ほどで一糸まとわぬ姿へと変化した。残ったのは、赤い首飾りだけ。
 背負っていた剣の鞘も消え、銀色の十字剣が回転しながら真上へと跳び上がる。
「………?」
 慎一は目を点にしてその光景を眺めていた。
 光の渦の中で小さな身体が成長していく。目に見える速度で、子供から大人へと。手足が伸び、胸が膨らみ、胴がくびれ、腰回りも大きくなる。女性特有の丸みを帯びた身体。引き締まった筋肉と、豊満な体付き。数秒のうちに大人へと変化したリリル。
 その身体へ無数の黒い破片が集まった。
 虚空から現れた四角い破片。それが、螺旋を描きながら衣装を構築していく。黒いブラジャーとショーツが胸と腰を覆い、裾の短いタンクトップと光沢のある黒いジャケット、ホットパンツが構成され、腰の後ろに黒い布飾りが現れた。足を包む黒い靴下とブーツ、手を包む指貫グローブ。最後に、いくつものシルバーアクセサリが現れ、振り上げた手に魔剣の柄が握られる。背中から、黒いコウモリのような翼が広がった。
 赤い光が消える。
 振り上げていた右手を下ろし、リリルが振り返ってきた。大人の姿に変化するまで、およそ十五秒ほど。銀色の十字剣を肩に担ぎ、得意げに笑ってみせる。
「どうよ?」
「斬っていいか? 夢だから実際に死ぬことはないから」
 間髪容れず、慎一はそう尋ねた。淡々と。刀の切先を向けながら。
 空中へと抜き放たれた、一級破魔刀・夜叉丸。刃渡り二尺六分。微かに蒼味を帯びた刀身は、月明かりに照らされ不吉な輝きを映していた。
「て、待て待て待て……! お前目がマジだぞッ!」
 慌てて間合い取りながら、リリルが威嚇するように魔剣を突き出す。鞭のような尻尾がぴんと伸び、頬に冷や汗が浮かんでいた。金色の瞳で刀を凝視している。
「なかなか素敵な変身ね。私も負けていられないかな?」
 割り込んできた声に、慎一とリリルは目を動かした。
 綾姫が黒い日傘を折り畳み、どこへとなくしまう。続いて取り出したのは、銀色のステッキだった。月と星を模った、いわゆる魔法少女の変身ステッキのような。
「………」
 慎一は刀を手元に引き戻した。切先を砂地へと浅く突き立てる。
 柄元を右手で握り、柄頭に左手を乗せる癖のある構え。
「リリカル・マジカル――プリンセスフォーム!」
 ステッキから白い光が溢れる。無数の星と月が散らばり、綾姫の身体を包み込んだ。黒い衣装が解けるように分解していく。
 何も考えぬまま、慎一は刀を振り上げた。
 杭でも抜くような逆風の一閃から放たれた斬撃が、砂浜を駆け抜ける。砲華の術、破空の術の上位応用である重断。複雑な術式などを必要としない基本術の中では最大の威力を持つ。高さ二十メートルはある分厚い剣気の刃が、斧のように空間を叩き斬った。砂を巻き上げながら砂浜を割り、一枚の壁のように巨大な刃が綾姫を直撃する。
「あー……」
 呆れたように、リリルが呻いていた。
 だが、砂煙から飛び出してくる人影。
「変身中に攻撃仕掛けるって、重大なマナー違反じゃないかしら!」
 何事も無かったかのように、綾姫は砂浜に着地する。
 その衣装は全く別のものに変わっていた。
 金色の縁取りのなされた白いハイレグレオタード。上腕まである白いドレスグローブに太股まである白いハイヒールブーツ。頭上には金色の輪が浮かんでいる。背中からは白金色の翼が三対広がっていた。その姿は天使を思わせる。色々と間違っているが。
 ヒュゥと口笛を一吹きしてから、リリルは感心したように口端を持ち上げた。
「お前、なかなか面白いセンスしてるなァ」
「あなたのエキセントリックな服装も好きよ」
 綾姫が右手を持ち上げると、その手に銀色の鎌が現れた。西洋の死神が扱うような大鎌。柄の長さは百五十センチ、刃は百三十センチほどだろう。
 こほんと咳払いをしてから、綾姫は銀色の大鎌を持ち上げ、その場でくるりと一回転。正面に向き直ると同時に、何かのポーズを取ってみせた。
「白金斬殺天使――プリンセス・ヒメ見参ッ!」
「………。後頼む」
 事務的に頼んでから、慎一は懐から水色の折り紙を一枚取り出した。
 空中に放ると、一秒ほどで蝶の形に折上げられ、音もなく羽ばたき始めた。ふわふわとした見た目とは裏腹に、大人が走るくらいの速度で防風林の方へと飛んでいく。
 刀を鞘に納め、慎一は飛んでいく蝶を追うように走り出した。


 逃げるように――事実、本気で逃げているのだろう。振り向きもせずに林の方へ走っていく慎一。その後ろ姿を眺めてから、リリルは綾姫に注意を戻した。
「何年ぶりくらいか、全力出すのは。腕鈍ってないといいけどな」
 尻尾を動かしつつ、乾いた唇を舌で湿らせる。背筋を駆け抜ける冷たい緊張感。目蓋を少し下げて口元に凶暴な笑みを浮かべ、リリルは綾姫を睨み付けた。
 本来ならば相手にもならない生身の人間だが、この夢の世界では本人が望むだけの力が出せる。事情を知らないため、意識の枷も制約も無いだろう。慎一の合成術を食らって平気なところを見るに、楽に倒せる相手ではない。
「天使vs悪魔。うーん、素敵な対決♪ 準備はいいかしら、リリルちゃん?」
 余裕たっぷりに、綾姫が大鎌を肩に担ぐ。銀色の刃が不気味に光っていた。
 リリルの右手に持った剣が緋色に染まる。
「いつでもいいぜ!」
 魔剣の一閃。剣身から膨れ上がった炎が、大波のように砂浜を走る。大量の魔力によって具現化された赤い濁流。擬似質量を持った炎が、一気に綾姫へと押し寄せた。
「エンジェル・ブレイカー!」
 大鎌の一閃が炎を縦に斬り裂く。
 ギィン!
 リリルが振り抜いた剣を、綾姫が大鎌の柄で受け止めていた。炎を囮にして接近したのだが、読まれていたらしい。もっとも、予想するのが難しい攻撃でもない。
 地面を蹴って後ろへと下がる綾姫。六枚の翼を広げ真上へと飛ぶ。
「やっぱ飛ぶんだな」
 リリルも二枚の翼を広げ、綾姫を追って夜空へと飛び上がった。

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