Index Top 第6話 帰郷、日暈宗家

第6章 日暈家当主、日暈恭司


 カルミアは喉を動かした。辺りの空気が引き締まる。
 やって来たのは、七十歳ほどの老人だった。細身だというのに、その体躯は異様なまでに鍛え上げられている。撫で付けただけの白い髪と白い髭、落ち着いた黒い瞳。深い紺色の上着と灰色のズボンという恰好で、家紋の入った黒い羽織を着ていた。右手には一本のステッキを持っている。温厚さと厳格さの同居する不思議な老人。
 日暈宗家六十二代目当主、日暈恭司。慎一から聞かされていた通りの姿だった。
「恭司さん。こんにちは」
 気をつけの姿勢で背筋を伸ばし、真美が一礼する。畏怖の込められた声音。
 手が下ろされて足場を失い、カルミアは慌てて空中に留まった。下羽に魔力を込めて浮遊力を動かし、上羽で姿勢を整える。
「ああ、こんにちは」
 挨拶を返す恭司。
「さきほどは聞き忘れたが、いつまで泊まっていく予定だ?」
「はい、慎一さんが向こうに戻るまで泊まっていくつもりです。明後日までお世話になりますが、よろしくお願いします」
 再び一礼してから、真美は慎一を見やった。どこか気恥ずかしそうな眼差し。
 視線を向けられて、慎一が微かな苦笑を見せる。滅多に見せない気恥ずかしそうな表情だった。やはりこの二人は許嫁なのだと実感する。
「お主がカルミアか」
 恭司の視線がカルミアに向けられた。透き通った黒い眼光。威圧感はないものの、心の奥まで見通されるような眼差しである。
「え……。はい」
 頷くカルミアに、恭司は続けた。左手を持ち上げ、
「慎一から話は聞いているよ。話通りの気立ての良さそうな娘だ。おっと、自己紹介が遅れたな。儂が日暈家当主の恭司だ。よろしく」
 気さくに挨拶をしてくる。厳格と言われていたが、それほど厳しそうには見えない。慎一が老人になったら、このような感じなのだろう。
 杖を握ったまま両手を前で組み、カルミアは一礼する。
「初めまして、カルミアです。こちらこそよろしくお願いします。ええと……恭司さんの話も慎一さんから聞いていますよ。凄い方なんですね」
「まあな」
 すっと口端を持ち上げる恭司。否定も肯定もしない。しかし、表情から見て取れる自信と余裕。消極的な肯定とカルミアは受け取った。
 その視線が慎一に向かう。
「夜叉丸はしばらくお主に預けるだけだから、事が終ったら返しに来るように。あと、不必要に抜いたりするなよ。お主の手にはやや余るからな」
「ああ。分かってるよ」
 鞘を握る手に力を込めて慎一が答える。二人の会話には、淡い緊張が含まれていた。刀を持ち出すに際に特別な話があったのだろう。
 しかし、それはカルミアの知るところではなかった。
 恭司はこほんと咳払いをしてから、
「準備が出来たから来てくれないか? 魔法の撮影を始めたい」
「はい」
 カルミアは頷いた。舞台に立つような心地で緊張している。
 恭司は慎一に目をやり、
「儂は先に行っている。刀を置いてから、カルミアと一緒に来てくれ」
「分かった。十分で行く」
 慎一の返事を聞いてから、踵を返す恭司。
 ステッキを突きながら、振り返りもせず歩いていく。散歩するような普通の足取り。石突きが規則正しく地面を突いている。銀色の握りと黒い芯。
 ふと思ったことを口にしてみた。
「シンイチさん。あのステッキも普通の杖じゃないんですよね?」
「術で鍛錬した六角形の鋼針を、カーボンの鞘に収めた携帯用の武器だ。爺ちゃんのお気に入りらしい。中身は刃物じゃないけど、二級破魔刀よりも物騒だよ」
「私、あれで自動車を真っ二つに斬ったのを見たことあります……」
 慎一と真美が静かに答えてくる。呆れたような口調。
「そう、ですか」
 ぼんやりと納得しながら、カルミアは恭司の背中を見つめた。


 慎一は部屋を見回す。
 それは和室を改造した撮影場所だった。
 床、壁、天井に白い布を張り、ふたつのライトを点けている。ビデオカメラが二台設置され。三十センチ四方の四角い台が置かれていた。設置された撮影器具は本格的なものだった。どこかからか借りてきたのだろう。
「ここで、撮影するんですか……?」
 傍らのカルミアが緊張したように訊いてくる。
「そう緊張することもない」
 カメラを弄りながら、恭司が声を掛けた。
 巨大なスタジオカメラではなく、小型な肩乗せ式ビデオカメラが二台。三脚の上に設置されて、傍らの液晶テレビと接続されている。
 一方は通常のビデオカメラSONY製HDVカムレコーダー。もう一方はハイスピードカメラフォトロン製FASTCAM-APX RS 250K/250KC。術力などを撮影できるように唐草家の改造がなされている。合計金額推定一千三百万円。
「本格的だな……」
 手伝いと言いつつも、慎一の仕事は特にない。恭司だけでの撮影は無理なので、カルミアを安心させるためにここにいる。
「撮影時間の締め切りがあるわけでもないし、失敗しても取り直せるから。気楽にしてくれ――と言っても、緊張するなってのは無理な話だけど」
「そうですね、緊張します」
 頷くカルミア。声が硬い。
「ならば、思い切り緊張してはどうだい? そのうち緊張が突き抜けて開き直れるから。儂は若い頃そうやって窮地を切り抜けてきた。緊張したまま死地に突っ込んで、二度ほど腕を千切られているけどな、フフ……」
 本気とも冗談とも付かないことを口にする恭司。慎一とカルミアの視線を浮けながら、眼を細めて小さく笑っている。昔を思い出したのだろう。笑えない冗談を言うのはいつものことだった。
 慎一はカルミアと眼を合わせてから、
「とりあえず台に頼む」
「分かりました」
 返事をしてから、カルミアは台の上に移動した。一応緊張は解れたようである。
 右足を下ろしてから、左足を下ろした。羽を微かに動かして魔法を解除し、台に着地する。本人は自然と行っているが、複雑な動作がなされていた。
「ふむ、飛行の魔法か――」
 恭司が興味深げにカルミアの姿を見つめる。飛行の術や魔法を見るのは初めてではないはずだ。しかし、妖精の飛行の魔法を見る機会はそう多くない。
 恭司がディスプレイを見やる。画面の中央に映ったカルミア。
「カルミア」
「はい」
 両手で杖を握り締めながら、カルミアが返事をする。
「ちょっと練習だ。何か軽く魔法使ってくれ」
 真剣な口調で恭司が指示を出した。鋭く引き絞られた刃物の眼差し。落ち着いた老人の雰囲気は消えていた。仕事を行う日暈家当主の表情。
 思わず魅入りそうになりつつ、慎一が付け足す。
「氷の魔法頼む。早いと分かりにくいから、ゆっくり頼む」
「分かりました」
 頷いてから、カルミアは杖を持ち上げた。
 小声で呪文を唱える。日本語ではない、不思議な言語。妖精の言葉なのだろう。呪文が続くとともに、魔法式が構成されていくのが分かった。
 液晶テレビには魔力が白い光となって映っている。不可視の力を感知するよう改造されているのだ。カルミアの全身を包む魔力が、杖の先の青宝石に集まり、幾何学的な魔法式を作り上げている。簡単な氷の魔法式。
「氷よ」
 カルミアの声とともに、幾何学模様が空間に広がり、魔力が白い氷へと変化した。実在現象へと変換され、消滅する魔法式。氷の結晶が辺りに飛び散り、雪のように静かに床に落ちていく。見た目は人間の術と変わらない。
 床に落ちた氷が溶けて消えた。魔力の氷なので、跡が残ることはない。
 ほっと吐息してから、カルミアが声を上げる。
「どうですか?」
「問題ない」
 恭司が笑った。
「やはり人間の術とは違うな。よく似ているけど性質が違う。それに、他の精霊族の魔力とも微妙に違うようだな。思った通り、妖精の魔法は興味深い」
 その話を聞きながら、カルミアが頷いている。恭司の言葉を理解しているわけではないようだった。しかし、普段から言われていた魔法と術の違いを、恭司の口から聞いたことで認識したのだろう。
 恭司がハイスピードカメラのスイッチを入れる。
「さて、本場を始めよう」
「はい」
 カルミアは頷いた。

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