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はじまり 妖精を拾って


 夕立は突然だった。
 辺りが暗くなり、大粒の雨が降り注ぐ。
 土砂降りの中、慎一は折り畳み傘を差して自転車を走らせていた。
 二十歳ほどの青年。身長は平均より少し高く、身体は痩せ気味。短く切った黒髪に、どこか淡泊な目付きと顔立ち。チェック模様の半袖シャツ、ベージュ色のチノパン。リュックを背負っている。一言で現せば、地味な青年だった。
「アパートまでは大丈夫だと思ったんだけど……」
 大学からアパートまで、およそ三キロ。折畳み傘で凌げる距離ではない。リュックもシャツもズボンも靴下も靴もずぶ濡れだった。
 途中に雨宿り出来るような場所はない。ずぶ濡れになると分かっていれば、大学で雨がやむまで待っていた。後悔しても遅いし、愚痴を聞いてくれる人もいない。
「あと少し……」
 慎一は最後の力を振り絞る。
 視線を上げた。
「ん?」
 視界に何かが飛び込んでくる。スズメほどの大きさの影。
 それが慎一の顔にぶつかった。
 視界を奪われ、バランスを崩す。普段なら苦もなく体勢を立て直していただろう。
 しかし、バケツをひっくり返したような雨。傘を差しながらの不安定な片手運転。濡れて身体に絡みつく服とズボン。奪われる体温。全てが動きを妨げる。
 前輪が滑り……
 ベチャ。
 慎一は濡れた道路に突っ伏していた。むっと口元を固くして、アスファルトを見つめる。全身が破滅的に水浸しになっていた。今更どうにもならない。
 傘は近くに落ちている。自転車は倒れていた。
「僕が何か悪いことしたか?」
 誰へとなく唸る。身体が痛い。
 突っ伏していても、誰も助けてくれない。それは分かっている。慎一は立ち上がって、自転車を起こした。近くに落ちていた傘を掴む。
 そこで、道に落ちているものに気づいた。
 濡れた布のようなもの。さっき、顔にぶつかったものだろう。
 無視してもよかったはずだ。普通ならば無視していた。
 なんとなく、慎一はその布切れを拾い上げる。
「ん?」
 眉根を寄せた。
 布切れではない。
 手の平に乗るほどの女の子。背中まで伸ばした薄紫色の髪。布切れに見えたのは、三角帽子を被って、青と白の服とを着ているからだった。背中から、四枚の透き通った羽が生えている。
「……妖精?」
 それは、妖精だった。絵本や昔話、童話に出てくる妖精。
 ただ、あちこちに泥汚れがついていて、羽もよれている。妖精が現実にいるはずがない。常識がある人間ならば、そう思うだろう。
 しかし、これは人形ではなかった。
 目を閉じているが、微かに動いている。
「本物か」
 慎一は妖精をポケットに入れて、自転車にまたがった。

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